【回答】
さまざまな切り口がありますが、
突き詰めれば、自分の一つの行動が、全体に与える影響を実感できるか、というセンスの問題に帰着すると考えています。
これを培うことは容易なことではなく、また教育するのも、伝達するのも容易なことではない。
「めちゃくちゃたくさんの人が投票しますよね。その中で自分1人が投票しようがしまいが、関係ないんじゃないですか」
目の前でこう嘯く人に対して、
投票することの意義を説明できるか?ということです。
これは案外難しい。
ほとんどの大人が、この説明に失敗しています。
一人ひとりの無力に見える1票が、選挙区においては何十万票の塊になって明白な結果をもたらす。そしてそれが積み重なって、一つの国政選挙の結果になる。
考えてみれば、不思議なことです。
なぜ一票が意味を持つのか。
積み重なることを前提にした一票だから?
いやそれならば、どのみち何十万票の中に埋もれるのだから、
自分1人が病欠などで投票しなくても結果は変わらんでしょう…等々
議論はなかなか収まりがつきません。
この「一票の意義」をクリアカットに説明するのは、大変難しい。
私も上手くできる気がしません。
オートポイエーシスのような未完成の哲学概念を持ち出すか?
あれこれ考えますが、もしかすると、そもそも言語化できるものではないのかもしれない、とも思います。
ですから最初に「センスの問題」と書きました。
これを培うことが、「人間修養という観点から見た重要課題のひとつ」であり、そう考えるとある意味では、人生の目的(のひとつ)と言っても過言ではない。
そしてその問いの果てにある「民主主義とは何か(どのように実現するのか)」という問い。
民主主義は、体制であり意識であり、主義であり…
人類史上でその「理想の形」が現れたことは未だかつてない、と言って良いと思います。
簡単に答えの出る問題ではないと思います。
そして、その朧(おぼろ)にある「理想のカタチ」から、日本の現状が遠くあること、遠のいていっていることは確かであり、
しかもそれは世界的傾向でもあり、
そこで働いている”斥力”は「民主主義の理想のカタチ」をクリアに言語化することの難しさと無縁ではない、とも思います。
いささかレトリカルな回答で申し訳ありませんが、現時点で私が答えられるのはこれくらいです。